ブログ13のポスト ミニ発表12の下書き
カルチャーショックの経験について話して下さい。その経験を詳しく説明し、その経験から学んだこと、わかったことを話しましょう。
私がアメリカに住むようになってからもう30年近くになります。今はもうだいぶ慣れてしまいましたが、初めてアメリカに来たときは、いろいろ日米の習慣の違いについて気が付くことがありました。その一つに、家に来た客に出す飲み物についての日米の違いがありました。
日本では、お客さんに何を飲みたいか聞かないで、勝手にお茶やコーヒーを出すのが普通です。そして、お客さんはの方も「すみません」とか、「ありがとうございます」とか言って、出された飲み物を飲みます。けれども、アメリカではお客さんに何が飲みたいか聞くのが普通です。よく、「水とコーラとジュースと紅茶とコーヒーがあるけど、どれがいい?」などと聞きます。お客さんの方も「じゃあ、ジュース下さい。」と遠慮せずに答えます。
初めてアメリカに来た時、この習慣の違いはとても面白いと思いました。私は初めのうちは、「何が欲しい?」と聞かれた時、本当は飲みたい物があっても日本的に遠慮して、「何もいりませんよ。どうぞおかまいなく。」と言ってしまっていました。でも今では、アメリカ人のように、「じゃ、お茶がいいかな。」などとすぐに答えられるようになりました。
この日米の違いに関しては、私はアメリカ式の方がずっといいと思います。どうしてかと言うと、日本式のやり方だと、客が飲みたくない飲み物を出されてしまう可能性があるからです。飲まないと失礼だと思って、飲みたくない物、好きじゃない物を無理して飲むはめになる場合もあります。でも、アメリカ式のやり方なら、そういう問題は起きないので、お客さんは気持ちよく過ごせます。日本人も、ぜひこのアメリカの習慣のまねをした方がいいと思います。
Monday, December 9, 2019
ブログ12のポスト:
何かの物の作り方を説明してください。教科書p.279, p.281を見て参考(さんこう)にして(as reference)書きましょう。
何かの物の作り方を説明してください。教科書p.279, p.281を見て参考(さんこう)にして(as reference)書きましょう。
子供のころ、ささの葉(bamboo leaf)で、小さい舟(ふね boat)を作って遊びました。作った舟が水の上に上手に浮かんだら、とても嬉しかったです。
作り方は次のウェブサイトに分かりやすく説明されています。興味があったら、ぜひ見て作ってみて下さい。
山びこネット 笹舟づくり
私が子供の頃は、今よりずっと安全だったので、いつも外で友達と、草や花や木や昆虫(こんちゅう insects)で遊んだものです。でも、今の子供たちは、家の中でゲームばかりしていて、あまり外で遊んだ経験がないんですね。もちろん、昔に比べて世の中が危険(きけん)になっているので、子供だけで外で遊ぶことができない環境(かんきょう)になってきているので、仕方がないのかもしれません。でも、昔の子供達の遊びがどんどん消えていくのは、寂(さび)しいことですね。
*ブログ11 トピック:「日本の伝統工芸品で、興味のあるもの、好きなもの」どんな工芸品が好きか、どうして好きなのかについて、書いて下さい。
私は沖縄出身なので、沖縄の伝統的な工芸品と呼べる、シーサーについて紹介したいと思います。沖縄の伝統的な瓦葺き(かわらぶき clay tile roofing)の屋根の家には、シーサーと呼ばれる、ライオン=獅子(しし)の置き物が置かれています。シーサーは、全力で相手をたおすといわれるライオンのように、屋根や門の上から魔物(まもの)を追い払っています。
私は沖縄出身なので、沖縄の伝統的な工芸品と呼べる、シーサーについて紹介したいと思います。沖縄の伝統的な瓦葺き(かわらぶき clay tile roofing)の屋根の家には、シーサーと呼ばれる、ライオン=獅子(しし)の置き物が置かれています。シーサーは、全力で相手をたおすといわれるライオンのように、屋根や門の上から魔物(まもの)を追い払っています。
シーサーは13~14世紀(500~600年前)、中国から沖縄に伝わったといわれています。昔は国王や国のえらい人たちなどの、シンボルとしても使われていたそうです。屋根の上やげん関、門の上に置かれている他、村や町を守るために、村の入り口や高台に置かれているシーサーもあります。
今では幸せをよぶ沖縄観光のシンボルとして、置き物やキーホルダーなどにも使われています。伝統的なシーサーは、ちょっと怖い顔をしていますが、最近では、面白い顔をした、かわいいシーサーもあります。沖縄に行く機会があったら、ぜひいろいろな所にあるシーサーを探して、見てみて下さいね。
今では幸せをよぶ沖縄観光のシンボルとして、置き物やキーホルダーなどにも使われています。伝統的なシーサーは、ちょっと怖い顔をしていますが、最近では、面白い顔をした、かわいいシーサーもあります。沖縄に行く機会があったら、ぜひいろいろな所にあるシーサーを探して、見てみて下さいね。
*ブログ10のトピック:今までに日本が外国から輸入したものを一つ選んで調べて、どのような歴史があるのか紹介してください。(例:紅茶、バナナ、キリスト教、ハンバーガーなど、何でもいいです。)
私は、スパゲティの日本での歴史について書きたいと思います。今では、大都市には本格的なイタリア料理の店もたくさんありますが、私が子供のころは、パスタという言葉は知られていなくて、スパゲティやマカロニがよく家庭で食べられているパスタでした。
日本へ最初にパスタが持ち込まれたのは、江戸時代の終わりの横浜に作られた外国人居留地だったそうです。その頃、スパゲティを初めて見た人々は、「うどんのようだ」と思ったらしいです。昭和の初め頃から、一部のレストランなどでパスタの料理が食べられるようになったそうですが、パスタが一般化したのは、1950年代以降のことだそうです。
特に、1970年代ごろからスパゲッティ・ナポリタンという料理が流行して、ファミリーレストランや、家庭でも作られるようになりました。これは、ゆでたスパゲティーをたまねぎ、ピーマン、マッシュルームなどの野菜と、切ったソーセージと一緒にトマトケチャップで炒める料理です。
https://allabout.co.jp/gm/gc/186773/
このスパゲティ・ナポリタンという料理は、実は日本人が作り出した料理で、本当のイタリア料理ではないのです。ナポリはイタリアの町ですが、そこでは、トマトを使った料理が多いそうです。そして、ナポリタンという言葉は、フランス語で、ナポリ風のトマトを使った料理という意味です。この料理を考案した横浜にある、ホテル・ニューグランドのシェフが、フランス料理の専門だったので、この名前が付けられたと言われています。私が子供のころ、よく給食にも出たし、母もよく家で作ってくれました。他に、スパゲティ・ミートソースと、マカロニサラダが、日本人の家庭でよく食べられている料理だと思います。
1980年代には本格的なイタリアンレストランが開業され、1990年代には「イタめし」という言葉もできるほどのイタリア料理ブームが起きました。今では、梅しそやたらこ、納豆や海苔など、日本独自の味付けによるスパゲッティ料理も数多く食べられていて、日本人の食卓に欠かせない食べ物になっています。
日本へ最初にパスタが持ち込まれたのは、江戸時代の終わりの横浜に作られた外国人居留地だったそうです。その頃、スパゲティを初めて見た人々は、「うどんのようだ」と思ったらしいです。昭和の初め頃から、一部のレストランなどでパスタの料理が食べられるようになったそうですが、パスタが一般化したのは、1950年代以降のことだそうです。
特に、1970年代ごろからスパゲッティ・ナポリタンという料理が流行して、ファミリーレストランや、家庭でも作られるようになりました。これは、ゆでたスパゲティーをたまねぎ、ピーマン、マッシュルームなどの野菜と、切ったソーセージと一緒にトマトケチャップで炒める料理です。
https://allabout.co.jp/gm/gc/186773/このスパゲティ・ナポリタンという料理は、実は日本人が作り出した料理で、本当のイタリア料理ではないのです。ナポリはイタリアの町ですが、そこでは、トマトを使った料理が多いそうです。そして、ナポリタンという言葉は、フランス語で、ナポリ風のトマトを使った料理という意味です。この料理を考案した横浜にある、ホテル・ニューグランドのシェフが、フランス料理の専門だったので、この名前が付けられたと言われています。私が子供のころ、よく給食にも出たし、母もよく家で作ってくれました。他に、スパゲティ・ミートソースと、マカロニサラダが、日本人の家庭でよく食べられている料理だと思います。
1980年代には本格的なイタリアンレストランが開業され、1990年代には「イタめし」という言葉もできるほどのイタリア料理ブームが起きました。今では、梅しそやたらこ、納豆や海苔など、日本独自の味付けによるスパゲッティ料理も数多く食べられていて、日本人の食卓に欠かせない食べ物になっています。
Monday, October 28, 2019
*ブログ9:ミニ発表11の下書き自分の国について、次のトピックAかBのどちらか一つを選んで、絵や写真などを使って分かりやすく5分程度で話してください。教科書のp. 256の発表の仕方も参考さんこうにしてください。
A: 歴史上の人物:
· いつ、どこで、何をした人か。その人の人生じんせいを時間に沿そって(chronologically)説明する。
· その人のしたことは、歴史的にどんな意味があるのか。
B: 食べ物など
· どのように始まって、どのように変化してきたのか
· その食べ物は自分の国の人々にとってどのような食べ物なのか
私は餅の歴史について調べてみました。日本の文化では、餅は、お正月などの大切な日に食べられる食べ物の一つです。日本ではもち米を用いて作る餅が一般的です。作り方は、まずもち米をといでから十分に水に浸しておいた後に、水気を切り、蒸します。次に、蒸したもち米を杵と臼で米粒の形がなくなるまでついて、いろいろな形にしたら出来上がりです。


最後に、それらに砂糖、しょうゆ、のりなどで味付けしたり、スープなどの料理に入れて食べます。



平安時代になると、餅は神聖で縁起のよい食べ物という意味が強くなって、季節・行事ごとに食べられるようになりました。そのころから、鏡餅が作られるようになったそうです。


1193年に書かれた『吾妻鑑』という本には、黒・赤・白の三色の餅と書かれていて、そのころから、白以外の色餅が作れれていたことがわかるそうです。また、東日本では主に四角い形の餅が、西日本では丸い形の餅が食べられているそうで、場所によって餅の形に違いがあるようです。

http://www.kagamimochi.jp/saguru/page4-2.html
ブログ8:トピック「私が好きな歴史上の人物」
(日本人でも他の国の人でもいい)いつ、どこで、何をしましたか。どうしてその人が好きですか。
私が好きな歴史上の人物の一人に、杉原 千畝(すぎはら ちうね 1900 - 1986年)という人がいます。杉原は、日本の外務省に勤める、外交官だった人です。彼は、第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館というところで働いていました。その時、ナチス・ドイツの迫害のせいで、ポーランドなどのヨーロッパの各地から逃げて来た難民たちがたくさんいました。そのころ、日本はナチス・ドイツと同盟を結んでいたので、日本の政府/外務省は、そのような難民達を日本に入れてはいけないと命令していたそうです。
しかし、杉浦は、そのような難民の人達の状況を知って、とてもかわいそうだと思っていたそうです。それで、1940年7月から8月にかけて、日本の外務省からの命令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、約6,000人もの避難民が日本に行けるようにしてあげて、助けてあげたのです。その避難民の多くが、ユダヤ人系の人達だったので、「東洋のシンドラー」などと呼ばれることがあるそうです。

その当時、日本政府の命令に従わないと仕事を辞めさせられたかもしれないのに、危険を冒してまで難民の人を助けてあげた杉浦は、立派な人だと思います。
Monday, October 14, 2019
ブログ7
何か自分が書きたいことを書いてください。(例:週末、趣味、映画、勉強、etc.)
私は野球が特に好きというわけではありませんが、今年、日本からある有名な選手がアメリカの大リーグ(Major League)にやってきたので、その人について紹介したいと思います。その野球選手の名前は、大谷翔平(おおたにしょうへい)です。大谷選手がちょっと他の選手と違うのは、彼がピッチャーとしてだけでなく、バッターとしても優秀だという点です。普通はピッチャーは投げることだけに専念しますが、大谷選手はバッターとしても試合で活躍してきました。たとえば、2016年に大谷選手は日本のプロ野球で20本のホームランを打ったそうです。大谷選手は日本でとても人気があったので、彼が日本のプロ野球を辞めて、アメリカの大リーグに挑戦するというニュースが流れた時には、日本の野球ファンはとても残念がったそうです。
大谷選手は、今回、ロサンゼルスエンジェルズに入団しました。アメリカではピッチャーとバッターと両方をする選手はほとんどいないそうなので、大谷選手が成功するかどうか、とても注目されているようです。エンジェルズの球場はUSCから近いので、私も一度試合を見に行ってみたいと思っています。
ブログ6のポスト:
今まで使ってみて便利だと思ったものについて、紹介して下さい。(例:自動販売機、スマホのアプリ、台所で使うものなど)
私が最近買ったもので便利だと思ったものは、この透明のポーチです。授業の時に、ノートパソコンを教室のプロジェクターや音声ジャックにつなぐためにいくつかのアダプターを使うので、それを入れるために使っています。どうして便利かというと、見た目の通り、透明なので、中にある物がすぐ見えるからです。欲しいものをすぐに探すことができ、時間を短縮できます。また、底が太くて上の方が細くなっているので、安定して立てた状態で置いておくことができます。横に倒れやすいと、中の物が外に出て床に落ちてしまったりすることがありますが、このポーチだとそういう心配がありません。最後に、やや硬い素材で出来ているので、形が崩れにくく、中に入っているアダプターなどが壊れないように守ってくれます。このポーチを買って正解だったと思いました。
ブログ5のTopic:「ミニ発表10の下書き(draft)」
コンビニやスーパー、または他の何か(例:コンピュータ、携帯電話 など)が発達したことで、どんないいこと、悪いことがあると思いますか。
私は皆さんに比べると、もう何億年も生きているので、私が子供の頃や若い頃にはなかった物や、想像もできなかった物が今現在使われています。ほとんどの物は、私達の生活を便利にして、私達の時間を増やしてくれていると思います。皆さんが生まれる前はどのぐらい不便だったか、ちょっと書いてみたいと思います。
今は、家事をするためのいろいろな器具がありますね。でも、私が子供の頃は、炊飯器はありましたが、保温の機能がなかったので、ごはんが炊きあがったら、すぐ食べないと、冷たくなってしまいました。
![]() |
| 古いタイプの炊飯器 |
![]() |
| 最近の炊飯器 |
でも、今は、保温を始め、いろいろな機能がついている便利な炊飯器がどんどん開発されています。洋服を乾かす乾燥機も、アメリカではどの家にもあるものですが、私が大学生の時でも、日本にはほとんどありませんでした。洗濯をしたら、外に一つ一つ干さなければなりませんでした。結構時間がかかりました。日本は雨が多いので、雨の日は、家の中に干さなければならず、乾くのにだいぶ時間がかかって不便でした。

音楽を楽しむための器具もどんどん開発されて変化していますね。私が子
供のころは、音楽を聞くのはレコードでした。レコードプレーヤの針はとても壊れやすく、レコードも落としてしまったらすぐに割れてしまう物でした。

録音するためには、リール(reel)を使った録音機を使いました。

その次に出てきたのがカセットテープを使ったカセットプレーヤです。録音も再生もできました。レコードよりずっと小さくて壊れにくいので便利でしたが、何回も再生すると、テープが伸びてしまったりしました。


やがて、レコードの代わりにCDが使われるようになりました。それは皆さんも知っていますね。
今はiPodなどのデジタルの小さい音楽プレーヤーにたくさんの音楽が入れられるのでとても便利ですね。でも、私のように、不便だった時代を知っている人間には、技術の発展が時々こわくなることがあります。もし、ある日、石油などの燃料がなくなって、電気が全然使えなくなったりしたら、私たちは生きていけるのだろうかと。
Sunday, September 22, 2019
ブログ4:あなたがよく行く店(スーパー、コンビニなど)について教えてください。
私が毎週食料品を買う店は、東京セントラルという日系のスーパーです。以前はマルカイという名前でしたが、最近オーナーが変わって、この名前になりました。東京セントラルではせんべいからさしみまで、様々な日本の食料品や雑貨を買うことができます。日本から取り寄せているのでもちろん日本で買うよりは高いですが、とても便利です。近くにミツワマーケットなどもありますが、東京セントラルの方がミツワより安いので、私は東京セントラルの方によく行きます。

でも、最近、野菜を買うために、中国系のスーパー、「99 Ranch Market」にも行くようになりました。というのは、そのスーパーの野菜の方が東京セントラルより新鮮だし、もっと多くの種類の中国人が食べる野菜を売っているからなんです。値段も東京セントラルよりずっと安いようです。99 Ranch Marketでは、新鮮な魚やカニなども売っています。中国の人たちの食文化は、とても豊かだなあと思います。

大学生の時、ミシガン州に住んでいたことがありますが、そこには日系のスーパーといったものは全然なくて、大変不便に感じていました。それに比べると、ロサンゼルスは日本人にとってとても住みやすい場所ですね。
私が毎週食料品を買う店は、東京セントラルという日系のスーパーです。以前はマルカイという名前でしたが、最近オーナーが変わって、この名前になりました。東京セントラルではせんべいからさしみまで、様々な日本の食料品や雑貨を買うことができます。日本から取り寄せているのでもちろん日本で買うよりは高いですが、とても便利です。近くにミツワマーケットなどもありますが、東京セントラルの方がミツワより安いので、私は東京セントラルの方によく行きます。
でも、最近、野菜を買うために、中国系のスーパー、「99 Ranch Market」にも行くようになりました。というのは、そのスーパーの野菜の方が東京セントラルより新鮮だし、もっと多くの種類の中国人が食べる野菜を売っているからなんです。値段も東京セントラルよりずっと安いようです。99 Ranch Marketでは、新鮮な魚やカニなども売っています。中国の人たちの食文化は、とても豊かだなあと思います。
大学生の時、ミシガン州に住んでいたことがありますが、そこには日系のスーパーといったものは全然なくて、大変不便に感じていました。それに比べると、ロサンゼルスは日本人にとってとても住みやすい場所ですね。
ブログ3: みなさんの大学生活について書いて下さい。
私は、私の大学時代のことについて書いてみます。私も何百年も前には大学生だったんですよ。私は沖縄の琉球大学という大学に行きました。その時の私の専攻は英語学&英文学で、よく勉強したと思います。
クラブ活動は、英語クラブという、英語の勉強をするクラブに入っていました。一週間に二回、2時間ぐらいみなで集まって、英会話の練習をしました。それ以外に、ときどきクラブに遊びに行ったり、山や海にキャンプをしに行ったりしました。みないい人達ばかりで、いい友達になれたので、いい経験だったと思います。
日本の大学は厳しくないので、大学時代はあまり大変なことはありませんでした。でも、大学四年生の時にミシガン州立大学に1年留学した時は、英語で授業を受けなけらばならなかったので毎日勉強で本当に大変でした。特に、英語で何百ページも本を読まなければならなかったのは辛かったです。でも、今になってみれば、あまり勉強するチャンスがないので、たくさん勉強できたことはよかったと思います。皆さんは今大学生・大学院生で忙しいと思いますが、今のうちにたくさん勉強してくださいね。
私は、私の大学時代のことについて書いてみます。私も何百年も前には大学生だったんですよ。私は沖縄の琉球大学という大学に行きました。その時の私の専攻は英語学&英文学で、よく勉強したと思います。
クラブ活動は、英語クラブという、英語の勉強をするクラブに入っていました。一週間に二回、2時間ぐらいみなで集まって、英会話の練習をしました。それ以外に、ときどきクラブに遊びに行ったり、山や海にキャンプをしに行ったりしました。みないい人達ばかりで、いい友達になれたので、いい経験だったと思います。
日本の大学は厳しくないので、大学時代はあまり大変なことはありませんでした。でも、大学四年生の時にミシガン州立大学に1年留学した時は、英語で授業を受けなけらばならなかったので毎日勉強で本当に大変でした。特に、英語で何百ページも本を読まなければならなかったのは辛かったです。でも、今になってみれば、あまり勉強するチャンスがないので、たくさん勉強できたことはよかったと思います。皆さんは今大学生・大学院生で忙しいと思いますが、今のうちにたくさん勉強してくださいね。
ブログ2:ミニ発表2の下書き
みなさんの国、または、アメリカの教育制度の問題について話してください。
私は、ずっと公立の学校に行ったので、あまり大変ではありませんでした。高校2年生の終わりまでは、毎日部活で剣道をしていて忙しかったので、なかなか受験勉強をすることはできませんでした。でも、大変じゃなかったと言っても、やはり大学受験の時は、たくさん勉強しましたよ。高校3年になってからは、寝ている時と、ごはんを食べている時以外は、ずっと勉強をしていました。でも、寝る時間は7、8時間寝ていましたから、教科書に出てきた四当五落に比べるとずっと多いですね。塾に行くことも考えましたが、塾は高いし、あまり効率的ではないと思ったんです。そこで、塾には行かないで、ラジオの受験講座を聞きながら一人で勉強をすることにしました。一人で勉強していると、なかなか思うように点数が上がらなくて心配しました。でも、家族や先生に助けてもらって、なんとか大学に合格することができました。私が入った琉球(りゅうきゅう)大学は、田舎の沖縄にあって偏差値も低いし、有名な大学ではありませんでした。でも、一方で、学生たちは勉強が好きで先生方も熱心だったので、いい大学だったと思います。大学4年の時にアメリカに留学して、その後、アメリカで大学院に行きました。私は、自分の経験に満足しています。
みなさんの国、または、アメリカの教育制度の問題について話してください。
私は、ずっと公立の学校に行ったので、あまり大変ではありませんでした。高校2年生の終わりまでは、毎日部活で剣道をしていて忙しかったので、なかなか受験勉強をすることはできませんでした。でも、大変じゃなかったと言っても、やはり大学受験の時は、たくさん勉強しましたよ。高校3年になってからは、寝ている時と、ごはんを食べている時以外は、ずっと勉強をしていました。でも、寝る時間は7、8時間寝ていましたから、教科書に出てきた四当五落に比べるとずっと多いですね。塾に行くことも考えましたが、塾は高いし、あまり効率的ではないと思ったんです。そこで、塾には行かないで、ラジオの受験講座を聞きながら一人で勉強をすることにしました。一人で勉強していると、なかなか思うように点数が上がらなくて心配しました。でも、家族や先生に助けてもらって、なんとか大学に合格することができました。私が入った琉球(りゅうきゅう)大学は、田舎の沖縄にあって偏差値も低いし、有名な大学ではありませんでした。でも、一方で、学生たちは勉強が好きで先生方も熱心だったので、いい大学だったと思います。大学4年の時にアメリカに留学して、その後、アメリカで大学院に行きました。私は、自分の経験に満足しています。
Wednesday, August 7, 2019
上級の日本語3の学生の皆さん、
夏休みはどうでしたか。
私はとても忙しかったですが、楽しかったです。特によかったのは、日本で東北に一週間ぐらい旅行をしたことです。東北は広くて見る所がたくさんあります。今回は、秋田を中心に旅行しました。いくつか旅行中に撮った写真を見せますね。
景色もきれいでしたが、東北地方の方言(ほうげん)も日本の標準語とだいぶ違っていて、面白かったです。まだ東北には行きたい所がたくさんあるので、来年も東北に旅行するつもりです。皆さんもぜひ日本に行ったら、東北に遊びに行ってみて下さい。
夏休みはどうでしたか。
私はとても忙しかったですが、楽しかったです。特によかったのは、日本で東北に一週間ぐらい旅行をしたことです。東北は広くて見る所がたくさんあります。今回は、秋田を中心に旅行しました。いくつか旅行中に撮った写真を見せますね。
酒田(さかた)の山居倉庫(さんきょそうこ)
角館(かくのだて)の武家屋敷(ぶけやしき)通り
男鹿(おが)の雲昌寺(うんしょうじ)のあじさい
男鹿(おが)のなまはげ
秋田(あきた)の十二湖(じゅうにこ)の青池(あおいけ)
白神山地(しらかみさんち)のブナ林
Subscribe to:
Comments (Atom)





















